願いを忘れて、気付いたら叶っている
自粛生活どのようにお過ごしでしょうか☺
自粛生活当初は戸惑いがあり、一人の時間が取れないことや、気分転換になっていた仕事が休業になったりと、不安がありました。
実際、息子にコロナ疑いの症状が出たりなどハラハラすることもありますが、生活リズムがコロナバージョンになり、慣れてきました。
慣れたら慣れたで楽しめるようになっている自分がいます。
三食作るのキツイ・・と思っていましたし、実際面倒なのですが、子供たちが後片付け・食器洗いをしてくれるようになり、大変さが軽減しました。
1人の時間が無い・・と思っていましたが、『ママは今から本を読むからちょっと声かけないでね』というように、子供に宣言することで完璧とまではいかないけれど一人の時間を確保することができました。
運動不足も気になりましたが、午前中に散歩したり掃除したりで案外運動不足は解消されています。
仕事が休業になってしまい収入も気分転換もできないな・・と思ったのは職場から休業のメールが届いた一瞬だけ(笑)
「キツイ仕事に行かなくてもいいのか!」と心の中で叫ぶ自分がいました😅
家族には「ママ仕事休みだってよ~。参っちゃうね」と困ったフリをしました。
だって諸手を挙げて喜んでしまったら・・
今まで仕事を肯定して意味のあるものだと思うようにしていた私の努力が水の泡となってしまうから。
なぜ仕事をするのか・・
収入を得るため・継続は力なりを自分に課したい・自己肯定感を上げるため・様々な人と接する、人生経験を育むため・ママという存在ではない自分の居場所を作るため
などの色々な意味がありました。
そう思うようにすることでなぜ仕事をするのか?という自らの問いに意味を持たせていました。
現に良いこと尽くめで、辛いこともありますが職場の人達は楽しいし、モクモクとする作業も嫌いではありません。
キツイ仕事内容ですが運動と思えば、ジム行ってお金をもらえていると捉えることができます。
そう。仕事で得ることがたくさんある。
本心でそう思っていたし、今も仕事で得られるものに感謝しています。
だけども・・
コロナで休業のお知らせメールをもらった時から、ホッとしている自分がいる。
ワーイと喜んでいる自分がいる・・。
仕事がある自分を誇りに思っていたのだけれど、今回の件で本当に望んでいる形が見えてしまった。
仕事を始める前は、働くママを羨望の眼差しで見ていました。
何をするにも中途半端で投げ出していた自分が情けなくて、もう投げ出さないと決めました。
ママ友関係に疲れ、ママという存在ではないところに自分を置きたかった。
この3つの思いが注がれたのが、今の職場です。
見事にすべての条件を満たしてくれた仕事という存在。
仕事をしてから人間関係を学べ、お金という価値を真正面から向き合うことができました。
コロナでお休みにならなかったら、立ち止まらなかったら気付かなかったであろう、自分の気持ち。
この気持ちに気付いたときに思ったのが、数年前の私が目標としていた自分に今なっている。ということ。
仕事をしているママ友を羨望していた数年前の私。仕事を楽しそうにしているママ友がキラキラして見えていた数年前の私。
継続しよう!と決めた過去の私。
○○ちゃんのママではなく○○さんと呼ばれる場所。あだ名で呼ぶようになるママは関係のない場所。
数年前の私が目指していた姿が今の私だと気付きました。
叶ってるじゃん✨
次のステップに進みたい自分がいる。
過去の私が当時考えなかった、未来の自分が今見えています。
『こんな風なことをしてみたい』という目標が新たに出てきました。
次はこの自分になるべく人生を歩んでいくのだと思います。
具体的にどのように動いていいのか全く分かりません(笑)
仕事をしているママ友を羨望の眼差しで見ていたとき、夫の収入が減って働かざるを得ない状況になったように(笑)、今回もそうせざるを得ない状況を宇宙が用意してくれるのだと思います。
なので私がすることは未来の自分のなりたい姿を妄想(想像)して、数年前の私が望んだことが今叶っていることに感謝して、環境と状況と人とモノに感謝することだけです。