母になって初めて生きるということに向き合った
おはようございます☺
今日は暖かくなるようですが、雲が多め・・はて?
暖かくなるのかな☺
義母から大量にお野菜をいただいています♬
ジャガイモ、玉ねぎはそれぞれ段ボール箱で。
ほうれん草は毎週ビニール袋いっぱいに入った状態で。
このほうれん草は畑を借りて育てているらしく、いつも獲れたて新鮮ほうれん草をお届けしてくれる。
ありがたい。。✨
ほうれん草は茹でて出汁醤油とおかかで食べるシンプルなお浸しがうんまい!
子供にはどうか~?と思って出してみたら食べる食べる😋パクパク。
ほうれん草のバター炒めも作ってみたけれど、お浸しの方が甘みが引き立ち人気だったな(´▽`)
・・ちなみに、バター炒めの時のほうれん草は茹でたものを炒めたほうがいいのかしら??
生のまま炒めたら若干アクを感じたので(^^;)
そして昨晩のメインは唐揚げ。
今までで一番の最高傑作ができた!✨
衣は片栗粉オンリー★
失敗しても味がぼやけても(笑)めげずに挑戦し続けてみるもんだね。
いつかは納得の味ができるものなんだ(≧▽≦)
お料理を通して自分の好きを追求する大切さ、達成する喜び、無駄ではない挑戦する姿勢と心、多くの事を学んだ気がした👍
大袈裟ですな(。-∀-)
母という立場もそう。
主婦も。
飽き性でも『母』というものは辞めずに続けてこれた。
辞めたくてもやめられない。
その環境が良かったのだと思う。
自分の事だけならいつでも辞められた。
いつでも逃げることができた。
でも『母』というものは投げ出すことができなかった。
それは人生で初めての事だったと思う。
なぜこの私が3人の子宝に恵まれたのか。
ろくでもないこの私に。
他にお母さんにふさわしい人がたくさんいる中で、何故私が母になれたのか。
子供が好きな訳でもなく、家族を必要としていたわけでもなく、なによりも『金が全て』という思考の持ち主だった私に。
それは『子供を授かることによって数多くの経験をさせるため』に、神様が与えてくれたものなのかもしれない、と今は何となくそう解釈している。
今も守るべきものがいるという重圧に押しつぶされそうになる時がある。
子供がいなければ、こんな思いをすることもなかったのに、と思うこともある。
守るべきものがあるということは、逃げることができない、言い訳ができない、目を逸らすことができない、ということ。
ただ生きる、目の前のことに一生懸命になって生きる。
それを心から理解するために私に『子供』という存在が与えられたのだ。
自分が今いる環境が、学ぶために経験するために必要なのだ、と そう思う。