流れに身を任せ『なぁ〜んだ大丈夫じゃん!』を積み重ねる
おはようございます☺
今日も涼しく過ごしやすそうなお天気です🌥
最近自分の中で『〜しなければならない』を封印しようと心がけているのですが、そう決めたらYouTubeやテレビなどで「〜しなければならないをやめてみよう!」みたいなことを言っているのを度々聞くようになりました。
おお!タイムリーだ!と思ったのですが、よくよく考えたら当たり前なのですよね☺
自分のフォーカスしたものが視界に入ってくる、情報が入ってくるのだから。
例えば赤の車を探すと決めたら、普段は気にもしない赤の車がバンバン目に入ってくるという現象のように。
またはこの世界は自分の思考でできているので、自分がそうすると決めたことが現実になって現れる、という考え方もできます。
ブランド物に興味があった時は、ブランド物を持っている人やお店ばかり目について、そういう人が周りにたくさんいました。
痩せたい!と思っていた時は痩せている人に目が行き、結果 周りに痩せている人ばかりいるように感じる。
同じように〜しなければならないと思い込んでいた時は、〜しなければならないとダメだと言う人が周りにたくさんいました。
学校や親、世間がそのような風潮だったように思います。
〜しなければならないと思い込んできて、どうだったか?
・・非常に苦しかった。生き辛かった。
自分がとても苦しいのに、〜しなければならないという考えは子育て中でも変わらず、習い事をしなければならない・ママ友を作らなければならない・勉強させなければならない・運動させなければならない・・
信念があってやるのはもちろん良いと思うのですが、私の場合ほとんど恐怖観念からくる〜しなければならない だったので窮屈この上ない。
視野がギュウッと狭まっていました。
〜しなければならない、さもないと取り残される。
〜しなければならない、さもないとダメな人間になる。
と思い込んでいて、それができるまではイライラ。
親の価値観を押し付けられる子にとってはたまったもんじゃない。
・・それは私が一番よく分かっていたはずだったのに。
そんな中で起こったコロナ禍。
全てが一旦ストップしました。
動きたくても動けない状態。
予定のない毎日。
〜しなければならないという鎧がスルスル〜と脱げて、なんとまぁ軽いこと!!
ヾ(o´∀`o)ノワァーィ♪
思考の呪縛から解けたときの解放感ったら。自由ったら。身軽さったら!
〜しなければならない は、とんだ思い込みだった!と気付きました。
何に追い立てられていたんだろう??
今となってはそんなにカリカリしてどうしたんだ、と過去の自分に問う余裕ができたほど。
まぁ 一服、コーヒーでもどうぞ☕
〜しなければならないをやめてどうなったか?
何も困らない。
むしろ精神的余裕が出て穏やかでいられる。
子供たちはというと、こちらが心配しなくとも(〜しなければ!と焦らなくても)自分たちでちゃんと考えて行動している。
かえってこちらが〜しなければならないと思って行動している時より、子供がそれぞれ自分の考えで行動できるようになり、それを伝えてくるようになった。
こちらが決めつけて勝手な思い込みで押し付けていた事柄が無くなって、子供が自分で考える余白ができたのだと思います。
〜しなければならない、を貫いていたら 自分の考えを封印し、親の価値観で生きる羽目になる子供が出来上がっていたかもしれない・・。
恐ろしや恐ろしや😱
苦しいと感じる『〜しなければならない』は必要ない。
ギュウギュウに狭苦しく、お金が無い・時間が無いと感じるくらい余裕が無くなったら、一旦休憩してみる。
それは本当にしなければならないか?と。
自然の赴くままに身を任せて。
ちょうどいい時にちょうどいいコトが起こる。
なぁ〜んだ、大丈夫じゃん!